シャーロックホームズの作者コナンドイルはどんな人物だったのでしょうか?
幼少期や結婚、名前の由来や王家の末裔だったのかについても調べてみました!
それではご紹介していきますね♪
Contents
【コナン・ドイル】プロフィールと王家の末裔なのか?
ずーっと行きたかった北野異人館に行ってきました!
ヨーロッパ地方をイメージしたものが多くて個人的に好きだった^^*
シャーロック・ホームズの所は、最高だった。ずーっと居れる笑
コナンのホームズしか知らんけど、コナン・ドイルのホームズも勉強しよう。
行きたかったスタバにも行ってきた!! pic.twitter.com/hPtbk5bCMU— mayu (@ki1ra0mu2ne8) September 14, 2019
【コナン・ドイルのプロフィール】
●名前:サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル
●誕生日など:1859年5月22日に誕生し1930年7月7日に亡くなる(享年71歳)
●出身:イギリスのスコットランド
王家の血筋だったが貧しかった幼少期
まずコナンドイルの父親についてからご紹介していきます1
コナンドイルの父親チャールズ・アルタモント・ドイル(1829~1893)は測量技師補の公務員でしたがある依存症になってしまいます。
そのため晩年は精神を病み精神病院で過ごしました。
チャールズ・ドイルはこの入院では水彩画を書いて過ごしています。
この水彩画は彼の切実な日記でもありました。
実は父親チャールズの一家は美術や絵画に才能があり、父親や兄弟はその才能で裕福な暮らしをしています。
しかし父親チャールズはその才能に恵まれず、しかし絵への気持ちを断ち切れなかったのかもしれません(;_;)
そのためコナンドイルの子供時代は貧しい暮らしでした。
でも遡ればプランタジネット朝(中世イングランド王国の王朝)に繋がる家系でもありました。
ですのでドイルの母メアリーはその名に恥じぬよう常に紳士的であるよう教育し、これがドイルの人格形成にも大きく影響しています。
名前の由来は?
コナンドイルの正式な名前はサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイルです。
「サー」はドイルが王室から勲章を授与されたことから付けられました。
コナン・ドイルはどちらも姓で、コナンの方は大伯父から貰ったためこのような二つの姓を持っています。
【コナン・ドイル】大学卒業後はどんな人生だったのか?
医学部卒業後は開業医に
コナンドイルは裕福な叔父らの援助で1876年にエジンバラ大学医学部に進学し無事卒業します。
在学中はボクシングやラグビーなどスポーツを楽しんだり、近所の古本屋でスウィフトの「桶物語」を読んだりと様々な経験をしました。
特にシャーロックホームズのモデルとなったジョゼフ・ヘル教授との出会いもあります。
その後イギリスで診療所を開きますが、なかなか繁盛しませんでした…。
実はコナンドイルは学生時代の成績は良いとは言えず、医者としての腕前もイマイチだったのですね。
お金のため短編小説を書き始める
そのため時間を持て余したためと、収入を得るために短編小説を書き始めます。
しかしなかなか芽が出ません!
そこで長編小説「緋色の研究」を書きますが、これは短編小説ではあまりお金にならなかったため長編小説を書いたのです。
コナンドイル自身は人気だったシャーロックホームズが実は好きではありませんでした。
それは遂に小説の中でシャーロックホームズの命を奪ってしまうほどです…。
そのストーリーは「シャーロックホームズの思い出」の中の『最後の事件』に描かれています。
ジェームズ・モリアーティ教授という危険な犯罪王と大探偵ホームズとの対決の末、負けて滝に落ちて命を落としてしまうというものでした。
また眼科医としても開業もしますが、資格を持っていなかったため患者は他の有資格者の医者へ流れてしまいます。
そのため眼科医としても成功することはできませんでした。

ホームズの後の活動は歴史小説へ
シャーロックホームズを書くのをやめたコナンドイルは、次に歴史小説を書きます。
1892年には17世紀フランスのカルヴァン派がアメリカへ亡命するという「亡命者」を発表。
1894年からはナポレオン戦争時代を描いた「ジェラール准将」を書き、人気もありました。
しかしシャーロックホームズの人気は衰えず、その復活を望む声が多くありました!
ポーア戦争では軍医として活動
その後のポーア戦争では軍医の一人として、熱心に負傷者などの治療を行います。
この戦争ではドイルは本当は陸軍として参加したかったのですが、40歳を過ぎたドイルは検査に落ちてしまったのですね。
ドイルはイギリス軍の好ましくない行動に対してそれを擁護する意見を持っていたため政治関係者から支持されており、選挙にも出馬します。
結果は落選でしたが得票率はいいところまでいっていました。
このように愛国心の強かったドイルは第一次世界大戦でも戦場で士気を上げるような演説をしたりと、戦争に対して常に前向きな姿勢でした。
シャーロックホームズの復活!
ホームズ人気は衰えることはなく、遂に1901年にダートムーアに伝わる魔犬伝説を元にした「バスカヴィル家の犬」を発表。
ホームズはすでに亡くなっているので、亡くなる前のストーリーとして発表されました。
しかし次に発表した「シャーロック・ホームズの生還」では実はホームズは日本武術を使って生き延びていたという設定となり、無事ホームズは再開されたのです!

【コナン・ドイル】結婚していたのか?
ドイルは開業後にルイーズという女性と結婚しました。
でもルイーズは結核を患ってしまいます。
ドイルはルイーズのために家を建てたりと、10年間も懸命に介護しました。
その間にジーン・レッキーという女性に出会い恋に落ちますが、その関係は清いものでした。
1906年にルイーズが亡くなり、ドイルとジーンは1907年に再婚します。
子供についてはそのように書かれたものが見つかりませんでしたので、いなかった可能性が高いです。
さいごに
コナンドイルは政治家を目指すような人なので精力的に活動していたのですね!
また国に傾聴したのも王家の血筋だったためだと思います。
そんなドイルだからシャーロックホームズのような名作が生まれたのかもしれません(^_-)-☆
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