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大迫勇也の少年時代は?家族構成や幼少期から高校時代までまとめ!


2018年6月、遂に世界中が待ちわびた『サッカーワールドカップロシア大会』が開催されました。

開幕直前での突然の監督交代劇などもあり、「今年の日本代表はどうなんだろう」と心配する声もありました。

しかし蓋を開けてみたら初戦からやってくれましたね。

6月19日(日本時間)、前回苦渋を飲まされた「コロンビア」に勝利して幸先良いスタートを切ることが出来ました。

この試合のヒーローは間違いなく「大迫勇也」選手ですよね。

豊富な運動量を活かして、コーナーキックからの見事なヘディングシュートで勝ち越し点を奪いました。

これを機に、2009年の「全国高校サッカー選手権」で対戦相手から言われた「大迫半端ないって」という言葉は、瞬く間に日本中の流行語になってしまいましたね。

ちなみに私は、かつて水泳の北島康介選手が言った「なんも言えねぇ」と勘違いしてしまいました。

お恥ずかしい限りです。

今回は2018年のロシア大会を盛り上げてくれる日本代表から「大迫勇也」選手のルーツを深掘りしてみたいと思います。

家族構成について

まずは大迫選手の家族構成について調べてみました。

一家を支えるお父さんを筆頭に、お母さん、お兄さん、妹さんの5人家族です。

お父さんは「大迫哲也」さん。

2015年現在では、『鹿児島相互信用金庫』にお勤めで、常任理事の職に就いていらっしゃいます。

かつては営業開発部長職や支店長職も歴任されているので、相当な「出来る男」ではないでしょうか。

若い頃は野球をやられていたそうで、スポーツマンタイプなのかもしれませんね。

愛車は黒の『クラウン』、なんだかバリっとした凛々しいお父さん像をイメージしてしまいますね。

次にお母さんですが、お名前は「大迫美津代」さん。

昔はバレーボールをやっていたそうなので、ご両親揃ってアスリート気質なようです。

現在では「知覧カントリークラブ」というゴルフ場でコンペに参加したり、今でもスポーツを楽しんでいるようです。

大迫選手の今があるのは、実はお兄さんが小さな頃からサッカーをやっていたのに影響されたのが始まりだそうです。

残念ながらお名前は一般の方ですから公表されていませんが、年齢は大迫選手の3歳年上だということだけは分かっています。

妹さんは「大迫果鈴」さん、年齢は1994年生まれですから2018年現在で23~24歳という情報だけ入手出来ました。

ご両親やお兄さんの影響もあり、活発な妹さんではないかと勝手にイメージしてしまいます。

「⚽️W杯 2018
🇯🇵日本代表『大迫勇也』選手
💥「大迫半端ないって」
高校時代・・・誕生の瞬間」
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幼少期~小学校時代について

大迫選手の幼少期のエピソードと言えばこれにつきるでしょう。

3歳の頃加世田市(現在の南さつま市)のスポーツ少年団に入り、そこでサッカーを始めたら、あっという間に持って生まれた才能が開花しました。

近隣では「サッカーの大迫」と言えば知らない人はいない存在だったようです。

リアル『キャプテン翼』ですね。

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小学校高学年になった頃には、すでにプロサッカー選手を目指していました。

どうすればもっと上手くなり、活躍できるのかというレールはこの時から敷かれていたんでしょう。

またストイックな性格もこの頃から影響しはじめ、小学校5年生の頃には炭酸飲料を飲まず、体のケアに余念がなかったそうです。

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中学時代について

中学校は高校進学のことを考え、『鹿児島育英中学』に進学しました。

ちなみにかつて『サンフレッチェ広島』で活躍した「鮫島晃太」選手も同校の卒業生です。

運も味方についてくれたのでしょうか。

入学したての1年生は満足にボールを使う練習をさせてもらえないのに、この学校は発足1年目ということで上級生がいませんでした。

しかし他の選手とのレベル差があまりにもあるため、手抜きの練習が多くなり始めました。

「これではダメだ」と当時の監督が危機感を感じ、大迫選手の反骨精神に火を点けるべく様々な試練を与えます。

練習時間外でも体幹トレーニング、ストレッチなどのメニューを課します。

また大迫選手自ら、強い肉体を作るため焼肉店でご飯を16杯も食べたという逸話も作りました。

こういったメンタルとフィジカルの強さから、『U-15日本代表』に選ばれることになりました。

周囲から見れば、プロだとか日本代表なんてそんな簡単になれるものじゃない。

そんな意識でいたでしょうが、大迫選手は2018年現在日本代表選手です。

持って生まれた才能を努力によって上積みした結果が現れだした瞬間です。

「凄い。高校の時から
目立ってた人は凄い。」
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高校時代について

高校は『鹿児島育英中学』の提携校でもある『鹿児島城西高校』へ進まれました。

こちらの高校は県内でも有数のサッカーの強豪校として知られ、多くのJリーガーを輩出しています。

そんな中でも大迫選手は1年生でレギュラーの座を掴み、入学と同時に『U-16日本代表』にも選ばれています。

しかし高校2年生の時には、『FIFA U-17ワールドカップ』の代表からは漏れてしまいました。

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その悔しさを晴らすかのように、2008年の「鹿児島県高校総体サッカー競技大会」では大暴れしました。

同じく強豪校「鹿児島実業高校」戦で5ゴールを決め、チームを優勝に導きました。

満を持して臨んだ『87回全国高等学校サッカー選手権大会』では、大会史上初の1大会10ゴールの金字塔を打ち立てます。

この時大迫選手の凄さを実際にピッチ内で体感した、「滝川第二」のキャプテン(当時)中西隆裕さんの言葉が今復活しました。

この大迫選手の記録は、全国のプロサッカー選手を目指して精進している少年たちの越えなければならない壁のひとつとして今も君臨しています。

「大迫選手⚽️の高校時代の対戦高校の監督談:
「試合後、“君はいつか日本を背負う選手になる。頑張れ”と言ったら、真っすぐこっちを見て“ありがとうございました”と。なかなか言えるもんじゃないですよ」
この後監督は、握手をして大迫選手に魅せられたそうです✨。」
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「2008年第87回全国高校サッカー選手権大会
で1大会最多得点記録の10ゴールは未だに破られていない🎉
この大会の準決勝鹿児島城西✖滝川第二
滝川第二のキャプテン中西隆裕君が半端ない👏
全国大会の準決勝ですからね
その対戦相手がお手上げ✋😖✋
何ですから😁」
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まとめ

いかがでしたか?

日本の枠では収まり切れず海外で活躍し、晴れて日本代表として日の丸を背負ってワールドカップに出場している大迫選手の姿。

努力は人に見せるものでもなければ、ひけらかすものでもありません。

全ては自分の目標のために行うものだと思いませんか?

今回私たちは大迫選手の足跡を知り、改めて『努力』という言葉の重さを再認識した気がします。

大迫選手の今後の活躍に期待しつつ応援していきましょう。