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吉田麻也は左利きで足速い?小中学校から大学時代までの経歴まとめ!


2018年6月、『FIFAワールドカップロシア大会』もいよいよ決勝トーナメントが近づいてきました。(2018年6月28日現在)

願うは西野ジャパンが予選リーグを突破して、2大会ぶりに決勝トーナメント出場を果たしてもらいたいですね。

日本全国がワールドカップモードで、連日連夜日本代表の活躍を報じています。

中でも本田選手、香川選手、岡崎選手等のベテラン勢と肩を並べて豊富な運動量でピッチを駆け回る選手がいます。

189㎝の長身を活かしてディフェンスラインを守る「吉田麻也」選手。

今回はワールドカップ2大会連続で代表の座をつかんだ、、「吉田麻也」選手の学生時代のエピソードを中心に、深掘りしていきたいと思います。

左利は本当なのか?足はどのくらい速いの?

一説では「吉田選手」は左利きじゃないのか、と言われています。

しかし「吉田選手」は正真正銘の右利きです!

では何故左利き説が浮上したんでしょうか?

「吉田選手」がオランダ「VVVフェンロ」に移籍したある日、対戦相手「フィテッセ」の試合前ミーティング時に「吉田は左利き」という情報が入りました。

しかし当時「フェテッセ」に在籍していた「安田理大」選手が「右利きだよ」と訂正しています。

ではその情報のネタ元はどこだったんでしょう?

実はスカウティング用の資料映像でたまたま「吉田選手」が左足で2点決めていたため、「吉田は左利きだ」という印象が刷り込まれてしまったようです(^^;)

どの世界でも「印象」や「イメージ」というのは大切なんですね。

それによって評価が天と地ほど変わるのも現実です、致し方ないですけど。

ちなみに左利きのサッカー選手には、芸術家に例えられるほどのテクニシャンが多いのです!

かつて日本代表を務めた「名波選手」も『世界のレフティー』と呼ばれたことがありましたね。

ブラジルには「レベルが同じ選手がいたら迷わずレフティーを選べ」という格言があるほど、サッカーにおいて左利きの選手は貴重な存在なのです(^^)/

次に巷に流れる噂として「吉田選手」はかなりの俊足だというところに触れてみましょう。

2017年にリリースされた『プレミアリーグスピードランキング』で「吉田選手」はなんと、「時速34.78キロ」で堂々の9位にランクインしています。

プレミアリーグのピッチ立って、「自分は他の選手より走力が劣る」という事を実感したそうですよ。

そこでアスリートに走り方を教えることで有名な、フィジカルトレーナー「杉本龍勇」氏の指導を受けたおかげで、現在の快速があると言われています。

いろいろ努力されているのですね(^_-)

小学校~中学時代について

「吉田選手」がサッカーに目覚めたのは小学2年生の時、地元長崎市の「南陵FC」からサッカー人生がスタートしました。

ちなみに通っていた「長崎市立仁田小学校」は2015年度を最後に閉校となっています。

「南陵FC」への入団、加えて仁田小学校の少年団のサッカークラブでも練習、「吉田選手」はサッカー漬けの毎日を送り続けました。

2人いるお兄さんのうち、長男の「穂波」さんがサッカーをしていましたので、

よく練習相手になってくれたとのこと。

実は「吉田選手」は当時FWを任されていてチームの原動力として活躍していたようです。

この頃からお父さんの「有」さんは、「吉田選手」の才能に気づきこう言っていたそうです。

「子供の指導はコーチに任せなきゃいけない、親は一切口出しするな」

この哲学を貫くため、お父さんは「吉田選手」の試合のある時はビデオ撮影に徹したそうです。

その練習が実り、小学6年生で『名古屋グランパス』のユースセレクションを受験し、70名の受験者のうち合格者4人の中の一人に入ることが出来ました。

そして小学校卒業と同時に名古屋へと旅立った「吉田選手」はこう思いました。

「成功するまで帰れない」

しかしさすがに12歳の少年に一人暮らしはさせられないと、当時福岡で一人暮らしをしていたお兄さんと、愛知県での新しい生活を始め『三好町立北中学校』(現在の『みよし市立北中学校』)に入学しました。

中学生とはいえ、Jリーグの下部組織とあって当時から練習は厳しく、周りには自分より実力のある選手もいる。

それでもコーチは「吉田選手」のプレーだけでなく、人をまとめる才能、人間的な魅力、いわばパーソナリティの部分に目を付け、よりチームの中心となる後方でプレーをさせることを決めました。

これが「吉田選手」の立ち位置を決める瞬間だったのでしょう。

人生どこで何があるかわからないですね!

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高校~大学時代について

高校進学を機に兄との共同生活からグランパスの寮で生活を送るようになりました。

高校は愛知県の『県立豊田高校』へ進学しています(偏差値52)。

この学校はクラブの提携校ではなく、一般の公立高校です。

後に「吉田選手」はこの選択理由をこう語っています。

「サッカーだけに集中できる環境の方が楽ですが、グランパスのユースという特別視されない環境で、英語を真剣に学びたかったんです。」

なんだかジーンと来てしまいますね、本気で自分の人生と向き合っている少年だったんだと感じさせてくれます。

高校時代は『名古屋グランパスU-18』でキャプテンを務め、『U-18』日本代表にも選出され、男女共学だったため女子からは常に注目の的だったそうです。

2006年には「全日本ユース」で準優勝、2007年にはトップチームに昇格しています。

2007年3月に高校を卒業した後、『早稲田大学人間科学部通信課程』に進学すると同時に『名古屋グランパスエイト』へ入団します。

大学については無試験で入学できますが、卒業は困難なことで有名です。

ましてプロサッカー選手との両立は高いハードルでしょう。

現在では卒業したかどうかの情報は入手できていません。

こんなに実力のある選手なのに、大学進学をすること自体がスゴいことだと思います(^^)/
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まとめ

いかがでしたか?

世界最高峰のプレミアリーグで日本人初の100試合出場を成し遂げ、日本サッカー界の歴史に名を刻んだ「吉田麻也」選手。(2017年4月29日)

何事にも真摯な姿勢で向かっていく精神にちょっとした感動を覚えました(^_-)

母校で行われたロンドンオリンピックの壮行会で、後輩たちに向けてこんな言葉を贈りました。

「皆さんも何か一つでいいから、目標としているものに全力を注いでほしい」

今回は日本を代表するDF、「吉田麻也」選手のプロ入りまでの経歴を深掘りしてみました。

これからも続く「吉田選手」のサッカー人生に心からエールを贈りましょう。