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昌子源は幼少期から中学が過酷だった?高校時代と元韓国籍の噂は本当?


2018年『FIFAワールドカップロシア大会』も決勝トーナメントが始まり、戦いもいよいよ佳境に入りました。

大番狂わせが続く今大会、「メッシ」も「ロナウド」も既にピッチから去りました。

大混戦の決勝トーナメント、果たして日本代表は?

注目の日本代表は惜しくも「ベルギー」に敗れはしたものの、次世代へのバトンは確実に渡されました。(2018年7月3日現在)

「宇佐美選手」、「柴崎選手」、「武藤選手」、「原口選手」そして「昌子選手」等が日本代表の中心となる日がやってきました。

今回は初の日本代表に選出され、そのフィジカルを存分に世界に知らしめた「昌子源」選手についてご紹介していきましょう。

幼少期~小学校時代について

「昌子源」選手、まだまだご存知ない方の方が多いかもしれませんね。

特にワールドカップ人気に乗じてハマった「にわかファン」のあなた、あなたのために簡単に「昌子選手」について軽くご紹介していきましょう(^^)

「昌子源」の読み方は「しょうじげん」

1992年12月11日生まれの現在25歳、「鹿島アントラーズ」の若きリーダーとして活躍中です。

ここまでの紹介で「え、昌子選手って韓国の人なの?」と思われる人、多いのではないでしょうか?

結論から言えば、「昌子選手」はバリバリの日本人です!

「昌子」姓は島根県に多く、600人ほどいるそう。

確かに珍しい名字なので、よく勘違いされるとのこと。

顔立ちも韓国人っぽいキリッとした所もありますしね(^^)

では次になぜ「昌子選手」はサッカーの道を選んだんでしょうか。

ここにはお父さんをはじめ、家族の影響が大のようですよ。

お父さんは、『JFA公認S級コーチ』の資格を保有し、現在は関西の名門「姫路獨協大学」でサッカー部の監督を務められています。

加えてお母さんと2歳年上で現役モデルのお姉さんもサッカーの経験者。

まさにサッカー一家に生まれ育ち、幼少期からサッカーボールが友達だったのでした⚽

小学1年生から本格的にサッカーを始め、4年生の頃には、当時神戸に住んでいた事から、地元サッカーチーム「フレスカ神戸」に入ります。

ちなみに当時のポジションは攻撃的なフォワードでした (ノ゚ρ゚)ノ ォォォ

攻めるサッカーだったのです!

「昌子源選手
あの怪物ルカクを封じてたのに
最後の最後90+4分に3点目は悔しいだろ
これの悔しさを糧にして
成長して新しい日本代表を引っ張って
頑張ってください( ;∀;)👍」
ツイッター

中学時代について

中学生になると本格的にサッカー活動を始めています。

「ガンバ大阪ジュニアユース」に入りました。

ここで同じく日本代表に選出された「宇佐美貴史」選手「FC東京」の「大森晃太郎」選手と、中学1年生の時から同じピッチでプレーしています。

何だかすごいですね!

中学2年生のある日膝を負傷し、自分の思うようなプレーが出来なくなり、3年生の途中で志半ばにして無念の退団を余儀なくされてしまいます。

幼い頃からサッカー一筋で歩いてきて、初めての挫折を体験します。

その後しばらくはサッカーから離れた生活が続いたようですが、この厳しい現実が「昌子選手」の心に火を点けるきっかけになったようですね٩( ‘ω’ )وおー!

「サッカーが出来ないまま進路を決める」ことで悩んでいた姿を見たお父さんが、当時サポートしていた『米子北高校』サッカー部の中村コーチに練習参加を打診。

これを機に同校への進学を決めました。

お父さんがちゃんと息子の背中を見ていたのですね!

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高校時代について

「昌子選手」が進学した『米子北高校』は、サッカーでは全国で知られる強豪校です。

そして他にもバドミントン、ソフトテニス、スキーなど全国大会への出場経験を持つ、それぞれの道を目指す学生にとっては最高の環境。

そんな環境を用意してくれた、お父さんやコーチへの感謝を胸に再びサッカーに全力を注ぐ日々が始まりました。

高校生の時から感謝の気持ちを忘れずにいるなんて偉いです!

しかし1年生の時はフォワードを任され、期待されていましたが、やはり怪我の影響でなかなか出場機会に恵まれません。

ある時メンバーの一人が負傷した際、ディフェンダーのポジションに入るよう指示されます。

このことについて「昌子選手」は後にこう語っています。

「はじめは本当に嫌で、フォワードをやらせてもらいたかったけど、監督から拒否され、自分の居場所はディフェンダーなんだ、それを受け入れないと試合に出られない。」

自分を生かすために、自分の考え方を変えたのですね(^_-)

そしてサッカーは11人でやるスポーツです。

強豪校であればあるほど、部員の数は膨大になります。

その中でピッチに立つには、持って生まれた才能に加え、人一倍の練習が必要(>_<)

初めてのポジションを与えられた「昌子選手」の動揺はかなり大きかったはず。

しかし監督やコーチは、最初から「昌子選手」の実力を見抜いていたのかもしれませんね。

「こいつならどこでも任せられる」

恐るべしはチーム首脳陣の洞察力、加えて「昌子選手」のどん欲なまでの精神力が勝ち取った居場所でしょう。

気持ちを切り替えて練習に取り組むことで、3年生でついに「U-19」日本代表候補として招集されるまでになりました!

しかし、合同合宿を経て「ヴィッセル神戸」との練習試合にも出場していますが、実力をアピールすることが出来ず、無念の代表落ちとなってしまいます(;。;)

「守備の要は昌子源
中盤の要は柴崎岳
攻撃の要は大迫勇也
何が言いたいかって?
全員、鹿島産。」
ツイッター

まとめ

いかがでしたか?

幾度の挫折を繰り返しながらも、這い上がってくる逞しい精神力の持ち主。

「昌子源」を覚えておきましょう!

4年後には新たなチームの司令塔になっているかもしれませんよ。

2011年に『鹿島アントラーズ』に入団し、2014年には『Jリーグ優秀選手賞』を受賞しています。

まだまだ伸びしろ一杯の25歳の4年後に期待しましょう。

最後に「ベルギー」戦の試合終了後、ひざまずき、両手の拳でピッチを殴りながら、悔しさを露わにした「昌子選手」の姿を皆さんも忘れないでください。

今回は日本代表として初のワールドカップ出場を果たした「昌子源」選手についてご紹介しました!