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加藤シゲアキの名前がカタカナなのはなぜ?実家や学歴がヤバイ!


芸能活動をやりながら小説などの執筆活動をしている人で有名と言えば「ピース」の「又吉」さんですよね。

ジャニーズのメンバーにもいるそんな人が『加藤シゲアキ』さんです。

ドラマには俳優として出演し、文芸界では作家として活躍。

そんな加藤シゲアキさんについてしらべてみました♪

プロフィール

ジャニーズ事務所の『NEWS』のメンバー加藤シゲアキさんは1987年7月11日生まれの31歳。(2018年10月現在)

広島県広島市生まれで、4歳から大阪、10歳から以後は神奈川県横浜市で育っています。

幼少期より芸能界に憧れを持っていたため、母親がジャニーズ好きのママ友さんに相談して、小学4年生の時に履歴書を送ったそうです。

しかしなかなか返事がこなくて半ば諦めかけていました。

小学6年生の時に突然連絡が来てオーディションを受けて合格。

中学受験の時期が重なったりして、事務所とのコミュニケーションが上手く取れないじきもあったようです。

でもめげずに交渉を続け、受験終了後からレッスン開始が許可。

そして1999年8月ドラマ『怖い日曜日 友達のJ君』で晴れてデビュー。

2年間の空白も謎ですが、日々膨大な数の履歴書が送られてくるため事務所側も見落としてしまったのだと思います。

ちなみに入所日は中学受験前の1999年4月18日

受験前の入所で受験勉強と事務所の間で精神的にもプレッシャーがあったはず。

それでも両方とも乗り越えてきたのはすごいことです。

それ以後は、『3年B組金八先生』の第6,7シリーズに出演したり、メキメキと実力を付けていきました。

身長も175cmと高くグループ内ではバランスを取るためセンターでの起用が多かったようです。

実家について

加藤シゲアキさんの家族構成はご両親と本人の3人家族のようで、一人っ子です。

加藤シゲアキさんは広島から大阪(詳しくは豊中市)、そして横浜と引っ越しが多かったです。

岡山県出身のお父さんの職業は金融関係ではないかと推測されます。

地銀関係にお勤めだとすれば転勤はほぼノルマのように巡って来ますし、あるポストまで行けば転勤も近隣で収まるようになるそうです。

この推測でいくとお父さんの職業は銀行員のはずです、おそらく。

お母さんは秋田出身のいわゆる「秋田美人」らしいですが、一般の主婦ですので情報はほとんどありませんでした。

しかし、加藤シゲアキさんのために履歴書を送ったり、ママ友と情報交換をしたりと比較的社交的な方のように感じられます。

NEWSのメンバーのお母さん同士非常に仲がいいそうですよ。

加藤シゲアキさんの実家についての情報はあまり公開されていなくて、以上のようになります。

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学歴について

加藤シゲアキさんの出身校について調べてみるとビックリすることがわかりました。

普通なら幼稚園から大学までエスカレーター式で上がっていける学校でさえ「お受験」は必ず通らなければならない道。

そんなシステムの学校に中学から入り込むには、相当な学力を必要とされます。

しかもジャニーズ事務所のオーディションに合格して入所したばかりなので、勉強に集中するためには一時の間レッスンを休まなければなりません。

通常芸能界では、それを理由に長期の休みを取るなんてことは「論外」なのですが、結果的にはお母さんの粘り強い交渉に事務所が「特例」を与えた形で長期休暇を取得しました。

そうして受験したのが『青山学院中学』でした。

中途入学というハンディがある狭き門を見事に突破した加藤シゲアキさんは、その後トントン拍子で『青山学院高校』へと進み、そのまま『青山学院大学法学部』(当時偏差値60)に進学しました。

いくらエスカレーター式とは言え、ここまでの学歴を修めることが出来たのは加藤シゲアキさん自身の努力と、もともと頭脳明晰だったのもありますよね。

今までの小説について

加藤シゲアキさんにはジャニーズタレントとは別に「小説家」というもう一つの顔を持っています。

なぜ小説家の道を歩み出したのか?

どうやらジャニーズのタレントとしての「ふり幅」に危機感を覚え、同時にグループの休業や脱退などを機に改めて自分自身を見つめ直し「書くことだったら、事務所の誰よりもできる」と一念発起したそうです。

「村上春樹」氏が翻訳した『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(J・D・サリンジャー著)に影響を受けて少しずつ物書きはやっていたそうですが、その胸の内を事務所に告げて小説家の道に足を踏み入れるようになりました。

そうして2012年1月28日『ピンクとグレー』(角川書店)を発表し、本格的に小説家として歩き出しました。

また2011年11月22日に『加藤成亮』の名前で芸能活動していたのを、『加藤シゲアキ』と改名したのは本人の心の中で起きた大きな変化が原因とされています。

それはきっと小説家としての何なのだと思います。

2013年に発表された『閃光スクランブル』、翌年発表された『Burn.~バーン~』とデビュー作を含めた3作品は「渋谷サーガ」と呼ばれる渋谷と芸能界を舞台とした刺激的な内容のようです。

中でも『ピンクとグレー』は2016年に映画化されたり、香港をはじめ台湾、マカオなどで翻訳版が発売されるほどアジア圏では注目を浴びる作品となりました。

ちなみに加藤シゲアキさんの視力が0.3~0.4というのは、物書きの宿命なのかもしれませんね。

現在でも複数の連載作品を執筆中で多忙を極める「小説家・加藤シゲアキ」としてもとても輝いています(^o^)

さいごに

いかがでしたか?

今回は謎めいているジャニーズタレント「加藤シゲアキ」さんについて調べてみました。

なかなか情報を公開してくれませんでしたので、物足りなさを感じられたとは思いますが、今と昔の加藤シゲアキさんをオーバーラップさせながら作品を読んでみると、その成長ぶりがもっとわかるかもしれませんよ(^_-)-☆