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大久保利通の子供時代について!西郷隆盛とは本当に仲が悪かったのか?

大久保利通は西郷隆盛と幼なじみであり、仲間達と一緒に野山を駆け巡っていました。
数々の偉業を成し遂げた偉人ですが、いったいどのような子供時代を過ごしたのでしょうか?

家族構成について

1830年生まれ、薩摩藩(鹿児島県)出身です。
西郷隆盛は1827年生まれですので、西郷少年より3歳年下になります。

西郷隆盛とは幼なじみで、いつも一緒に遊んでいました。
西郷少年がリーダーでそれを支えたのが大久保少年でした。

父は琉球館附役の薩摩藩士で大久保利世、母は皆鳳徳の次女で大久保福でした。
5人兄弟でしたが、姉が上に4人いましたので末っ子になります。

大久保家は下級藩士で貧しく、幼い頃加治屋町へ引っ越ししました。
この加治屋町は島津藩でも150石以下の藩士が住んでいた所です。
しかし西郷少年らと共に「郷中教育」を受け、切磋琢磨していきました。

父利世は少し変わった人で、身分など関係なく百姓や商人と交流を交わしていました。
陽明学や禅にも明るく、西郷少年らも頻繁に通って話を聞いていました。

学問が優秀だった

大久保少年はあまり胃が丈夫ではなく、そのため剣術などの武芸は得意ではありませんでした。
しかし読者や討論などの学問には優秀であったようです。

いたずら好きだった

大人になった大久保利通は理論家で冷静で…、というイメージですが、少年時代のいたずらっ子ぶりは大人には手に負えないほどものすごかったようです。

入来温泉は冷たいお湯と熱いお湯の両方が吹き出ていて、それらが混ざり合って適温になっていました。
それを知った大久保少年は、片方の湯を止めて、入浴中の人が熱がったり、冷たがったりするのを楽しんでいました。

もちろんそんなことをすれば怒られます。
でも捕まらずに逃げられたようです。
すばしこかったのですね。

また桜島の噴火口へ石を落とすと山霊が祟ると恐れられていました。
でも大久保少年は楽しんで石をおとしました。
一緒にいた友達が止めてもです。

いたずら行動だけを見ると、無茶苦茶わんぱく少年です。
でも常識にとらわれない心、さらに常識を打ち破る心を持っていたのだと思います。

しかし大久保少年の父は放任主義で、男子ならいらずらも仕方ないと考えていたようです。
もちろん卑劣な行為については容認していませんでした。

いたずらが止むと考えの深い人になった

大久保少年はいたずらが止むと、落ち着きがみられ思慮深さが現れてきました。

また親や親類に病人がいれば、たとえそれが悪性の伝染病であったとしても、積極的に自ら看病をしました。
そして回復させました。

兄弟思いでもありました。
西郷隆盛とは最終的には仲が悪かった印象ですが、実際は兄弟のような切っても切れない思いを持っていたと思われます。

大久保が暗殺されたとき、その懐には西郷隆盛からの手紙が入っていたからです。
また「西郷死す」と電報を受け取ったときも、号泣したと言われています。

お由羅騒動で貧困生活へ

大久保20歳の頃、お由羅騒動に巻き込まれて、父が喜界島へ島流しとなります。
大久保自身も謹慎処分となり、一家は3年間無収入状態となりました。

その間は母が内職をして家計を助けました。
しかしそれだけでは当然足りませんでした。

大久保のこの頃の現存する手紙には借金依頼のものが多く残っています。
家計は相当大変だったようです。

この事件で大久保は忍耐を学んだに違いありません。
西郷隆盛も2度の島流しにあっています。
頭角を現わすには辛い状況も必要ということですね。

大久保と西郷はなぜ仲が悪いと言われるのか?

西郷は理想主義者で、最後まで武士でした。
だから政治家へと転身することができませんでした。

一方大久保は現実主義者で、武士には未練を持たず政治家へ転身できたのです。

価値観の違う二人が対立するのは当然のことでした。
しかしそれとは裏腹に兄弟のような思いも持ち続けていたのですね。

大久保利通の偉業

大久保利通が行った偉業についてまとめてみました。

簡単にいうと、幕府を倒し新しい作るため朝廷と手を組みました。
優れた「政治家」だったのです。

主には次のような偉業を果たしました。
数多くのことをされた方なのですね。

「版籍奉還」(はんせきほうかん)・・・大名の土地と人民を朝廷に返した

「廃藩置県」(はいはんちけん)・・・藩をやめ地方統治から中央統治にするため府や県を置いた

「岩倉使節団」に参加・・・伊藤博文らと共にアメリカやヨーロッパへ訪問

最後に

大久保利通は、大人しいが子供らしくない貫禄を兼ね備えていた西郷隆盛とは違う性質です。

優れた政治家だけあって、子供時代も戦略をたてていたずらするのが好きだったのではないかな、と思います。

大きくなるにつれ、その戦略はいたずらではなく、政治へとシフトしていき実力を発揮していきました。
父利世も学問に精通していたので、それも受け継いだのでしょう。

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