フィギュアスケート

宮原知子は頭いい才女で英語ペラペラの帰国子女?医者が夢ってマジ?

2018年2月に開催された『平昌オリンピック』、女子フィギュアスケートで個人4位という結果を収めた『宮原知子』選手。

浅田真央さんの引退後、羽生結弦選手と共に日本のフィギュアスケート界を牽引する立場となりました。

下からは紀平梨花選手や本田真凛選手などの追い上げもあり、リンクの中は常に真剣勝負の場となっています。

今回は宮原知子選手のプロフィールや家族、性格などについて調べてみました♪

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【宮原知子】プロフィール

プロフィール


宮原知子(みやはらさとこ)さんは1998年3月26日、京都市中京区生まれの20歳です。(2018年11月現在)

宮原知子選手とスケートの出会いは、とあるショッピングセンターの中央にスケートリンクがあり、お母さんに「やってみる?」と聞かれた瞬間から始まりました。

わずか4歳の頃の話です。

30分もすると1人でリンクサイドを滑ることができるようになり、お母さんも「宮原知子」選手の才能を感じ取り5歳からスケート教室へ通わせることにしたそう。

その後メキメキと力をつけた宮原知子選手は、『全日本フィギュアジュニア選手権大会』に初参戦し、13歳と8ヶ月で優勝しました。

ちなみにこの時の得点は2004年に同大会で「浅田真央」さんが叩き出した172.13点を越える172.17点を記録。

2位と20点弱の差をつけての圧勝でした。

世間の目が「真央」ちゃんブームだった時に、新たな新星が現れたと注目を集め始めます。

またいろいろなタイプのコーチからも指導を受けています。

●「新野陽子」元コーチ
●レベルアップのため「濱田美栄」さん
●「田村岳人」さん
●「キャシー・リード」さん
●「岡本治子」さん

濱田美栄コーチに「今まで始動した選手の中で一番の努力家で、スタミナもあり病気と怪我にも強い選手だ」と言わしめるほど。

その後、シニアに昇格すると演技は研ぎ澄まされ、完成度の高いものになっていきます。

【主な受賞歴】
・2014年『第83回全日本フィギュアスケート選手権』「本郷理華」を抑え初優勝。
・2015年『四大陸フィギュアスケート選手権』銀メダル獲得。
・2015年『NHK杯』日本人3人目となる200点台をマークし優勝。
・2015年『第84回全日本フィギュアスケート選手権』「樋口新葉」「浅田真央」を抑え優勝。
・2016年『第85回全日本フィギュアスケート選手権』3連覇達成
・2017年『第86回全日本フィギュアスケート選手権』4連覇達成
・2018年『平昌オリンピック』個人戦4位、団体戦5位入賞

数え切れないほどの受賞歴ですが、海外のフィギュア関係者の間では小柄(152cm)な体格から『TinyQueen』などと呼ばれているそう。

ジャンプ、スピン、ステップなど全てにのエレメンツで安定している選手として高い評価を受けています。

家族について

宮原知子選手の家族は、お父さん、お母さん、妹さんの4人家族です。

しかもご両親そろって医者というエリート家族でした。

お父さんは『京都市立病院呼吸器外科部長』の宮原亮さん。(勤務先は2015年11月現在)

「日本外科学会専門医」をはじめ、数々の肩書をお持ちで、1987年に京都大学を卒業されています。

もともと運動神経の良かったお父さんは体育会系で体育大学進学を勧められたそうですが、土壇場の高校3年の時、いきなり医者を目指すと決心し猛勉強し「京大医学部」へ進学しました。

お父さんもやはりど根性の人だったんですね。

そしてお母さんの宮原裕子(みやはらやすこ)さん

勤務先はお父さんと同じ病院で『京都市立病院血液内科副部長』をされています。(2015年11月現在)

1人の医者として、また母としてこう語っています。

「患者さんが一番。しかし娘のやりたいことは全力で応援します。指導医としても後輩医師に恥ずかしくない背中を見せたい」と。

また「子供に成功して欲しいなら、一番大切なことは子供の目が輝く瞬間を見逃さないこと」と過去に取材で答えられています。

本当に宮原知子選手はご両親のDNAを確実に受け継いるのだと思います。

妹さんの情報については一般の方ということで公表されていませんが、今後公表されましたら追記していきますね。

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学歴について

宮原知子選手は幼少期から小学校2年生までご両親の仕事の都合で、アメリカのヒューストンで暮らしています、

いわゆる帰国子女だったんですね。

そしておそらくこの時期にスケートと出会っています。

帰国後も英語力の維持向上に努め10歳で英検2級を取得。

ですので海外では通訳がいなくても大丈夫なのだそう!

そんな宮原知子選手の学力もやはり優秀で常に学年でトップに入るほどの成績でした。

『立命館小学校』を卒業後、『関西大学中等部』へ進学、2013年4月には『関西大学高等部』に進みました。

驚くことに高校卒業時の論文が『五輪の魔物論』というハイレベルなものでした。

そして2016年4月から『関西大学文学部』へ進学。

しかし翌年「平昌オリンピック」出場に集中するため休学し、『木下工務店』などを傘下に持つ『木下グループ』と嘱託契約を締結しました。

2018年4月より関西大学2回生として復学。

文武両道でしかも高学歴なのはご両親から譲り受けたものでしょうが、宮原知子選手もとても努力されているのだと思います。

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【宮原知子】将来の夢はやはり医者?


宮原知子選手は引退後についてこう語っています。

『オリンピックに出場して金メダルを取り、医者になりたい』

そんな夢がいよいよ現実味を帯びてきましたね。

ぜひ金メダルと医者を両方とも手に入れて欲しいです(^^)

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【宮原知子】性格について


そんな努力と天性の両方を持ち合わせる宮原知子選手の性格についてです。

相当気の強い女性を想像してしまいますが、実は結構な引っ込み思案なんだそう。

しかし、その小柄な体格の内にはメラメラと燃える闘志を秘めています。

また頑固で口下手な性格はお父さん譲りで、お父さんとは異常にウマが合い話し出すとキリがないんだとか…(笑)

だからこそ親子喧嘩もかなり本気になるようです。

お父さんは物事の本質や原理原則を教え込み失敗の原因を根底まで問い詰める。

娘はそれを真剣に考えながら反論する。

こんなに深いケンカができるのも素敵な親子です!

2017年に左股関節疲労骨折をした後はさらに精神的にも成長します。

『自分の意見をコーチにハッキリ言えるようになり性格も変わってきたようだ』とライバルの本田真凛選手の兄本田太一さんが語っています。

さいごに

いかがでしたか?

今回は日本のフィギアスケート界を引っ張る宮原知子選手についてでした。

4年後には北京オリンピックも控えています。

その時宮原知子選手は24歳です、多分競技人生最後のオリンピックになることでしょう。

それまでずっと応援しています(^-^)

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